「浅田真央と安藤美姫は日本フィギュアスケート界の双璧だね」と使う。どちらも美しく,見る者に感動と勇気を与えてくれる日本の至宝である。
双璧(そうへき):一対の宝玉の意で,優劣をつけられない二つの優れたもの,または人のたとえ。『陸凱の子の暐(い)と弟の恭之(きょうし)とは,二人とも秀才としての名声が高かった。..賈禎はこの兄弟に会い,感嘆して,私は長生きしたので一対の立派な宝玉を見た,と言った』出典北史(新明解故事ことわざ辞典)
春秋時代の宝玉といえば「
垂棘の璧(すいきょくのへき)」と「
和氏の璧(かしのたま)」が文字通りの双璧である。諸子百家以降多くの書籍に登場し,故事成語にもなっている。
垂棘(すいきょく):晋の玉の産地
和氏(かし):卞和,荊の人
「垂棘の璧」は故事成語『小利は大利の残い(しょうりはだいりのそこない)』に登場する。
晋の献公が虢(かく)を伐つためには,まず虢と友好関係にある虞(ぐ)を通過しなければならない。そこで荀息の献策により晋代々の宝玉である垂棘の璧と屈産の馬を虞公に贈って,通過の安全を確保した。荀息は虢を滅ぼし,そのあと後ろ盾を失った虞を易々と滅ぼし,璧と馬をまんまと取り返した。(韓非子十過)
「和氏の璧」は故事成語になっている。
楚の和氏が山中で得た宝玉の原石を厲王に献上したところ,ただの石であると鑑定され罰として左足を切られた。次の武王の代になって再び献上したところ,また石だと鑑定されて右足を切られた。次の文王の代になって,今度は命を取られると血の涙を流した和氏であったが,磨いてみたところすばらしい宝玉になった。(韓非子和氏)なお,楚→荊,文王→共王としたもの。(新序雜事五)
和氏の璧には後日譚があり,『完璧』,『刎頸の交わり』の故事を生むが,これは別稿にゆずる。
時代はずっと下って三国時代,魏の文帝となった曹丕はこのように言っている。
『宝玉は君子の徳のようなものだと言われている。
晉の垂棘,魯の璵璠,宋の結綠,
楚の和璞の価値は万金を越え,貴重さは都城ほどである。私は四宝を見たことがなく自分には徳がないことも分かっているが,欲しくて憧れている。..』
まだあと二つあるのか。
宝は人の心を惑わし,欲望は城や国さえも失うことを厭わない。そして戦争や犯罪を引き起こすのである。『財宝は天に積め(マタイ伝第6章20)』とは国や宗教の違いを超えて,苦難の末に手に入れた
知恵という至宝であろう。
さて,2000年後,世界中で宝への欲望はとどまるところを知らず,悪知恵を働かせる者が後を絶たない。紛争・麻薬・偽造・強盗・詐欺..政治の腐敗が彼らの動きをさらに活気づけている。民に帰すべき宝を国家が
壟断してることが根本的な問題なのだ。
日本の例でいえば省利省益に走る官僚とその傀儡となった族議員,業界団体であろう。彼らが求めているものは璧によく似て非なる壁(かべ)であろう。国益の専横を保つ
省壁である。このような壁は一つでたくさんであるし,必ず破壊せねばならぬ。
【昔者晉獻公欲假道於虞以伐虢。荀息曰:“君其以垂棘之璧、與屈產之乘,賂虞公,求假道焉,必假我道。”君曰:“垂棘之璧,吾先君之寶也;屈產之乘,寡人之駿馬也。..夫虞之有虢也,如車之有輔,輔依車,車亦依輔,虞、虢之勢正是也。若假之道,則虢朝亡而虞夕從之矣。不可,願勿許。”虞公弗聽,遂假之道。荀息伐虢之,還反處三年,興兵伐虞,又剋之。荀息牽馬操璧而報獻公,獻公說曰:“璧則猶是也。雖然,馬齒亦益長矣。”故虞公之兵殆而地削者何也?愛小利而不慮其害。故曰:顧小利則大利之殘也。】韓非子十過
【楚人和氏得玉璞楚山中,奉而獻之厲王,厲王使玉人相之,玉人曰:“石也。”王以和為誑,而刖其左足。及厲王薨,武王即位,和又奉其璞而獻之武王,武王使玉人相之,又曰“石也”,王又以和為誑,而刖其右足。武王薨,文王即位,和乃抱其璞而哭於楚山之下,三日三夜,泣盡而繼之以血。王聞之,使人問其故,曰:“天下之刖者多矣,子奚哭之悲也?”和曰:“吾非悲刖也,悲夫寶玉而題之以石,貞士而名之以誑,此吾所以悲也。”王乃使玉人理其璞而得寶焉,遂命曰:“和氏之璧。”】韓非子和氏