(ゐ)石に漱(くちすす)ぎ流れに枕(まくら)す

ゴンチ

2009年02月01日 22:54

「石に漱(くちすす)ぎ流れに枕(まくら)すというか,『誤解を与えたのなら謝る』って強弁じゃないか?誤解を何も解いてないし,謝ってもいない。」

石に漱ぎ流れに枕す(いしにくちすすぎながれにまくらす):
負け惜しみが強いこと。無理にこじつけて自分の説を通すこと。
『晋(しん)の孫楚(そんそ)が,本来なら「石に枕し流れに漱ぐ(田舎に引退する意)」と言うべきところを,うっかり「石に漱ぎ流れに枕す」と言い誤まってしまったとき,「石に漱ぐ」のは歯を磨くためであり,「流れに枕する」のは俗事を聞いて汚れた耳を洗うためだとこじつけた。』(晋書)。
「夏目漱石」という号は,これに由来する。
(新明解故事ことわざ辞典)

こじつけにしてもうまく言い逃れしたものだ。
(残念ながら,これ以上の言い逃れは思い浮かばない)
ところで「枕石」と「漱流」はなぜ,田舎の象徴なのか。

「石枕」は頭がひんやりするためか俳句の6月の季語になっているようだ。
「草枕」もあって,こちらは万葉集にも出てくる「旅」のずばり「枕」言葉である。
なるほど「都落ち」のイメージがわいてくる。

では,都では何を使って「漱いでいた」のだろうか。

「・・子婦以外の者は,一番鶏が泣いたら起きだして,盥(たらい)の水でぎ,と竹のむしろを片付け,堂と庭を掃除して,其々の仕事に付くこと」(禮記)

盥(たらい)に入った水か,なるほど。いろいろ役目が書かれてある。
では,子婦は何をするのだろう?

「父母の世話をする子」「舅と姑の世話をする嫁」「未成年の男女」..
みんな一番鶏と同時に起きて漱ぎ,髪の形や持ち物や食べ物まで決まっているようだ。
儒教の「礼」というものは精密で厳格で,社会はすべてそれに従って動いているようである。

ところが,不思議なことにこれらの人は枕とむしろを片づけない。

ここからは想像である。
枕やむしろを使う,あるいは片付けさせられるのは,下僕のような抑圧された人ということである。
それが「石に枕し流れに漱ぐ」のは,
片付ける必要がない,つまりその身分から解放されることを示す。さらに言えば,
「石に漱ぎ流れに枕す」のは,そのような身分制度そのものを否定した,完全な自由である。
しかし,その表現は,礼という常識に憑(と)りつかれている人間には理解されなかった。
だからとっさに,彼らにも解る論理でこじつけたのだ。

夏目漱石の「草枕」は,こう始まる
『..智に働けば角が立つ。情に棹せば流される。 意地を通せば窮屈だ。兎角にこの世は住みにくい。..』

そこから言葉を借りれば,
「むきになって本心を吐き出して窮屈になるより,兎角(=有り得ないこと)にしておこう」
そういう声にならない叫びが聞こえてくるのである。

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【孫子荊、年少時欲隱、語王武子、當枕石漱流、誤曰、漱石枕流。王曰、流可枕、石可漱乎。孫曰、所以枕流、欲洗其耳。所以漱石、欲礪其齒。】 -- 劉義慶『世説新語』「排調第二十五」 。(Wikiquote)

【子事父母,雞初鳴,咸盥漱,櫛縰笄總,拂髦冠緌纓,端韠紳,搢笏。左右佩用,左佩紛帨、刀、礪、小觿、金燧,右佩玦、捍、管、遰、大觿、木燧,偪,屨著綦。
婦事舅姑,如事父母。雞初鳴,咸盥漱,櫛縰,笄總,衣紳。左佩紛帨、刀、礪、小觿、金燧,右佩箴、管、線、纊,施縏帙,大觿、木燧、衿纓,綦屨。 ...
男女未冠笄者,雞初鳴,咸盥漱,櫛縰,拂髦總角,衿纓,皆佩容臭,昧爽而朝,問何食飲矣。若已食則退,若未食則佐長者視具。
凡內外,雞初鳴,咸盥漱,衣服,斂簟,灑掃室堂及庭,布席,各從其事。 】禮記內則






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