(く)口に糊する

ゴンチ

2009年02月04日 23:40

「年金で糊口をしのいでいる老身には,渡りで3億円と聞いてもピンとこないねえ。いったいそのお方はどこのどなた様でどんなお仕事をなさったんだい?」

口に糊する(くちにのりする):何とか貧しい生計を立てることのたとえ。かゆをすする意から。「口を糊する」「糊口」ともいう。やっとのことで食べ,何とか暮らしていくことを「糊口をしのぐ」という。糊する=かゆをすする。転じて,やっと暮らしを立てること。
(新明解故事ことわざ辞典)

口に糊すると聞けば,大坂町奉行所の元与力大塩平八郎の乱(1837年)を思い出す。

『天保の飢饉(1833-36年)により大阪の商業は衰退し,仕事に就くことも,食べることも簡単ではなくなって,餓死する者もあった。平八郎はそれを見かねて,救済のため私財を投げ出し,ついには蔵書までも売りつくした。それでも豪商たちは買い占めをやめず,賄賂を受け取っていた奉行所も無関心を装った。ついに平八郎は暴挙にでて,政府や民間の蔵を打ち壊して一時の救済に充てることにした。』大阪城誌(小野清,1899)とある。
この『仕事に就くことも,食べることも簡単ではない』の原文が【業ノ手ニ執ル可キ無ク、食ノ口ニ糊ス可キ無ク】である。

私財をなげうって庶民のために尽くす。(反逆者の汚名を着ることになっても)
このような義臣のいたことを誇りに思う。

渡りを禁ずる,このたびの公務員改革は明治以来の快挙という。
できればもう少し遡って天保の義臣を顕彰して欲しいものだ。

さて,その語源となった言葉は史記にある。

「伍子胥(ごししょ)は,夜歩き昼は隠れて,陵水にいたる。口に糊することなく..呉に到着し,闔閭(こうりょ)をその王とした」(史記)

伍子胥は孫武(そんぶ:孫子の兵法の著者)と共に闔閭を補佐し,楚の首都を陥落し,闔閭は斉桓公,晋文公,楚荘王に続く,春秋の覇者となった。

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【伍子胥橐載而出昭關,夜行晝伏,至於陵水,無以糊其口,厀行蒲伏,稽首肉袒,鼓腹吹篪,乞食於吳市,卒興吳國,闔閭為伯。】史記范睢蔡澤列傳




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