2009年01月13日

(へ)辟易する

「政治家連中の変わり身の早さと言い逃れの多さには辟易する。」などに使う。
この場合は『うんざりする』だか,広辞苑には『辟は避ける,易は変える意①驚き恐れて相手のために道を開いて立ち退くこと②勢いにおされてしりごみすること。』と有る。うんざりする のと 立ち退く のと しりごみする のが同じ言葉だとは妙である。調べてみた。

【..項王大呼馳下,漢軍皆披靡..項王瞋目而叱之,赤泉侯人馬倶驚,辟易數里..】出典:史記(項羽本紀)
..項王,大呼して馳(は)せ下り漢軍みな披靡(ひび)す..項王,瞋目(しんもく)して之を叱り,赤泉侯人馬倶(とも)に驚き,辟易すること数里..

披靡:道を開きなびく
瞋目:目をいからす
辟易:おどろきたじろぐ(新字源)

(四面楚歌の垓下を抜け出して追われ,ついに28騎となった項羽は数千の漢軍に囲まれたが,戦いに敗れるのではなく天に滅ぼされるのだと)項王が大声で馳せ下ると漢軍はいっせいに道を開き..項王が目をいからせて叱ると(迫ってきた)赤泉侯と馬は驚き,数里退いてたじろいだ。

春秋戦国時代の1里は300歩,1歩は6尺,1尺は10寸,1寸は2.25cmだから1里は405m
そもそも驚いてたじろぐと動けなくなるのではないか。それを何百mも逃げるとはどういうことか。さらに疑問は深まった。

項羽はそのあと顔見知りで昔の家臣であった呂馬童を見つけて「お前の手柄にせよ」と言って自ら首を刎ねた。その遺体を5人が取り合って手柄とし楊喜は赤泉侯に,呂馬童は中水侯などに封された。

以上はあくまで楚王項羽側の記述(項羽本紀)であり漢王劉邦(高祖本紀)側では【使騎將灌嬰追殺項羽東城,斬首八萬,遂略定楚地。】騎將灌嬰を使わし項羽を東城に追いて殺し,八萬を斬首し,遂に楚地を略定した。との記述があるだけである。

さて,辟易の意味は未だ曖昧であるが,「易きを辟けて(王位の略奪ではなく天命として)」項羽の自刎を促したとするのはどうであろうか?あるいは『三舎を避ける』の故事を引いて「易く数里を辟けて(旧恩に応える)」とするのはどうだろうか?(この場合数里はよほど短いので「恩知らず」の意味も含める。避から道(辶)がとれているところが意味深長である)
これであれば大軍で囲みながら,道をあけたことがすんなりと繋がるのだが。

余談
『三舎を避ける』は『晋の文王は流浪中に楚の成王に礼遇された際,もし戦うことになれば三舎を避けて返礼することを約束し,それを実行した。』という故事である。
舎は1日の行軍距離で30里(=12.15Km)
多勢に無勢の話だが,同様な話が三国志の張飛の長坂橋大喝にも出てくる。


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