2009年01月27日

(ね)年歳(ねんさい)

「年々歳々花相似たり,歳々年々人同じからず」
自然は変わらないのに,人の世は変わりやすいということ。人の世のはかなさをいうことば。毎年,花は同じように咲くが,それを見る人は年ごとに違っているの意から。
(新明解故事ことわざ辞典)

劉希夷(りゅうきい)「白頭を悲しむ翁に代わりて吟う」 のなかの一文である。
ここで言っている花は桃や李(すもも)の木に咲く花である。その咲いて散りゆくさまを人生に重ねて詠んでいる。
確かに「はかない」があまり切なくない。

ゴンチ流に解釈すると,
「1年で咲いて散る花はどの年も似ているのに,歳を重ねていく人間は1年前と同じではない。」
ということである。つまり,過ぎゆく時間のはかなさではなく,
「花は代わりながら変わらず,人は代わらずに変わっていく」
という逆説こそが切なさの原因なのである。
だからこそ「年々歳々・・歳々年々・・」と,「年」と「歳」の順を入れ替える必要性があったのだろう。

「年」も「歳」も,みのる,とし,など意味は同じであるが,なりたちは異なる。
年(ねん):禾(いね)の実がふくらみみのるさま。禾実が実る周期。
歳(さい):収穫時にまさかりでいけにえを裂いたさま。収穫から収穫までのめぐり。
(新字源)

一言で言うと,「年」は自然に進むが「歳」は収穫しないと進まないようである。
同じように,論語にある「日月逝きぬ,我とともにせず」は「(学問を行わなくても)月日は私を待たずに進む」という摂理ではなく「(学問を行わなければ)月日が過ぎても収穫がない」という論理になる。

さて,孟子も「歳」を善い意味に使っている。

「昔の明君(めいくん)が民のなりわいを定めるときは,その収入で父母を大事にし,妻子を養って,樂(豊年)には満腹になり、凶(飢饉)にも死ぬことはなかった。そのあとで,民を善に驅(か)り立て,民はすすんで従ったのである。ところが今の制度では,父母に満足なことができず,妻子を安心して養うことができず,樂でも絶えず苦しく,凶には死を免れることが出来ない。」

先人の知恵の収穫はまだまだ先のようである。

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【..已見松柏摧爲薪,更闻桑田變成海。..年年歲歲花相似,歲歲年年人不同。】代悲白頭吟,劉希夷全文
【日月逝矣,不我與】 論語陽貨
【是故明君制民之產,必使仰足以事父母,俯足以畜妻子,樂終身飽,凶免於死亡。然後驅而之善,故民之從之也輕。今也制民之產,仰不足以事父母,俯不足以畜妻子,樂終身苦,凶不免於死亡。】孟子梁惠王上


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