2009年02月02日

(の)嚢中の錐

「天才は元来嚢中の錐のようなもので,どの道へ入っても必ず現れてくる」

嚢中の錐(のうちゅうのきり):すぐれた人物は,多くの人の中にあってもその才能によって目立って見えることのたとえ。才能のある者は隠れていても頭角をあらわすということ。袋の中に入れた錐の先端は,おのずと布を突き抜けて外に出ることから。出典:史記
(新明解故事ことわざ辞典)

史記の故事は次のようである。

『楚との困難な交渉に迫られた趙の平原君(へいげんくん)は,随行させる人選に悩んでいた。平原君はその役目に自薦してきた毛遂(もうつい)に言った。
「賢士というものは,たとえば錐(きり)が嚢(ふくろ)の中にあるようなもので,必ず頭角を現すと言います。先生は私のところへ来られて3年経つがそのように目立ったことがありませんね。」
毛遂は答えた。
「袋の話は今日初めて聞きました。もし嚢に入れてもらえればそのようにいたしましょう。」
...こうして交渉団に加わった毛遂は,命がけの交渉を行って,交渉を成功させた。』

毛遂は,平原君の食客であった。数千人いると言われた食客の中で,頭角を現すのは難しかったようである。
3年も居るのに..などと嫌味を言われている。
困難な仕事,人の嫌がる仕事を率先して行って初めて認められるということなのか。

しかし,なぜ袋に錐をしまうのだろうか。例としているからにはそのような習慣があったのだろうか。

ざっと調べてみたが,錐は「立錐の余地なし」など錐の先を立てるほどのすきまもない「狭さ」や「見識の小ささ」に用いられており,この例のような「能力の高さ」としての意味には使われていない。

すると,元々の意味は「小さな袋の中では,さらに能力を発揮する余地はない」との論理になる。
(これはあくまで仮説であるが)
『普段でも目立ったところがなかったのに,このような困難な仕事のチームに抜擢してもらおうなんて,虫がよすぎるんじゃないか?』というさらに厳しい評価だったことになる。

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【平原君曰:“夫賢士之處世也,譬若錐之處囊中,其末立見。今先生處勝之門下三年於此矣,左右未有所稱誦,勝未有所聞,是先生無所有也。先生不能,先生留。”毛遂曰:“臣乃今日請處囊中耳。使遂蚤得處囊中,乃穎脫而出,非特其末見而已。”平原君竟與毛遂偕。十九人相與目笑之而未廢也。】史記平原君虞卿列傳




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