2009年02月10日
(え)英雄
「ご当人はバッシングに耐える『英雄』気取りだが,もとはといえば自分で蒔いた種なんだよな」
英雄(えいゆう):
文武の才の卓絶した人物。才知・武勇の人にすぐれた者。(広辞苑)
「英雄」の言葉ががよく使われるようになるのは漢以降である。
漢書には『漢が興(おこ)り,高祖(劉邦)は自ら神武の材となり,寛仁に厚く行い,英雄を総覧して,秦と項(羽)を討った。』
とある。
それ以降よく使われるようになり,後漢書では『(魏の)曹操(そうそう)が「清平の姦賊,乱世の英雄」と言われて大いに喜んだ』とある。
曹操を評して,「治世の能臣,乱世の奸雄」,「乱世の英雄,治世の姦賊」とする文献もある。
春秋戦国時代にはなぜか「英雄」の語は一度も出現していない。
その前の周代に一度だけ出現して,六韜に英雄になるための素養が書かれている。
長文であるがご容赦願う。
『(周の)武王が太公に問う。
「王者が兵を挙げるには,英雄を選び出して訓練する必要があるが,どうやって士の優劣を知ることができるのか?」
太公は答える。
「士には外見と心がけが違う者の例が十五あります。
①厳格そうだが不肖(おろか)である
②まじめそうだが盗みを働く
③つつしみ深そうな顔だが慢心している
④謙虚だが誠実さがない
⑤よく動くが志がない
⑥落ち着いているように見えるが重みがない
⑦会議をしても決めない
⑧押しは強いが実行力がない
⑨愚直だが信頼感がない
⑩悠々としているが忠実でない
⑪言うことは過激だが人真似をする
⑫見かけは勇敢だが内心は臆病である
⑬うやうやしく振舞うが素直でない
⑭きびしくやかましいがつつしみがない
⑮勢いがなく立ち居振る舞いもまずければ行くところがなく成功もしない」..』
①から⑮にあてはまらない士を選びだし訓練して,はじめて王者の挙兵を助ける英雄となりうると言うのである。
英雄になるためのハードルはとても高いようだ。
そして,現代でも十分に通用する人物評価の手法である。
------------------------------------------------------------------------------
【漢興,高祖躬神武之材,行寬仁之厚,總攬英雄,以誅秦、項。】漢書刑法志
【曹操微時,常卑辭厚禮,求為己目。劭鄙其人而不肯對,操乃伺隙脅劭,劭不得已,曰:“君清平之姦賊,亂世之英雄。”操大悅而去。 】後漢書郭符許列傳
【武王問太公曰:“王者舉兵,欲簡練英雄,知士之高下,為之奈何?”
太公曰:“夫士外貌不與中情相應者十五:有嚴而不肖者;有溫良而為盜者;有貌恭敬而心慢者;有外廉謹而內無至誠者;有精精而無情者;有湛湛而無誠者;有好謀而不決者;有如果敢而不能者;有悾悾而不信者;有怳怳惚惚而反忠實者;有詭激而有功效者;有外勇而內怯者;有肅肅而反易人者;有嗃嗃而反靜愨者;有勢虛形劣而外出無所不至、無所不遂者。天下所賤,聖人所貴;凡人莫知,非有大明不見其際,此士之外貌不與中情相應者也。” 】六韜選將
英雄(えいゆう):
文武の才の卓絶した人物。才知・武勇の人にすぐれた者。(広辞苑)
「英雄」の言葉ががよく使われるようになるのは漢以降である。
漢書には『漢が興(おこ)り,高祖(劉邦)は自ら神武の材となり,寛仁に厚く行い,英雄を総覧して,秦と項(羽)を討った。』
とある。
それ以降よく使われるようになり,後漢書では『(魏の)曹操(そうそう)が「清平の姦賊,乱世の英雄」と言われて大いに喜んだ』とある。
曹操を評して,「治世の能臣,乱世の奸雄」,「乱世の英雄,治世の姦賊」とする文献もある。
春秋戦国時代にはなぜか「英雄」の語は一度も出現していない。
その前の周代に一度だけ出現して,六韜に英雄になるための素養が書かれている。
長文であるがご容赦願う。
『(周の)武王が太公に問う。
「王者が兵を挙げるには,英雄を選び出して訓練する必要があるが,どうやって士の優劣を知ることができるのか?」
太公は答える。
「士には外見と心がけが違う者の例が十五あります。
①厳格そうだが不肖(おろか)である
②まじめそうだが盗みを働く
③つつしみ深そうな顔だが慢心している
④謙虚だが誠実さがない
⑤よく動くが志がない
⑥落ち着いているように見えるが重みがない
⑦会議をしても決めない
⑧押しは強いが実行力がない
⑨愚直だが信頼感がない
⑩悠々としているが忠実でない
⑪言うことは過激だが人真似をする
⑫見かけは勇敢だが内心は臆病である
⑬うやうやしく振舞うが素直でない
⑭きびしくやかましいがつつしみがない
⑮勢いがなく立ち居振る舞いもまずければ行くところがなく成功もしない」..』
①から⑮にあてはまらない士を選びだし訓練して,はじめて王者の挙兵を助ける英雄となりうると言うのである。
英雄になるためのハードルはとても高いようだ。
そして,現代でも十分に通用する人物評価の手法である。
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【漢興,高祖躬神武之材,行寬仁之厚,總攬英雄,以誅秦、項。】漢書刑法志
【曹操微時,常卑辭厚禮,求為己目。劭鄙其人而不肯對,操乃伺隙脅劭,劭不得已,曰:“君清平之姦賊,亂世之英雄。”操大悅而去。 】後漢書郭符許列傳
【武王問太公曰:“王者舉兵,欲簡練英雄,知士之高下,為之奈何?”
太公曰:“夫士外貌不與中情相應者十五:有嚴而不肖者;有溫良而為盜者;有貌恭敬而心慢者;有外廉謹而內無至誠者;有精精而無情者;有湛湛而無誠者;有好謀而不決者;有如果敢而不能者;有悾悾而不信者;有怳怳惚惚而反忠實者;有詭激而有功效者;有外勇而內怯者;有肅肅而反易人者;有嗃嗃而反靜愨者;有勢虛形劣而外出無所不至、無所不遂者。天下所賤,聖人所貴;凡人莫知,非有大明不見其際,此士之外貌不與中情相應者也。” 】六韜選將
2009年02月09日
(こ)荒唐無稽
「担当であって担当でない賛成の反対なのだ,こりゃ荒唐無稽というよりバカボンのパパ以下だな」
今日は「呉越同舟」か「言語道断」あたりでまとめようと思っていたが,予定が狂った。
「満を持す」で変節を問うた手前,元に戻ったことを論評せねばならぬ。
これほど難しい論理はない。哲学の助けを借りても理解は無理だろう。
荒唐無稽(こうとうむけい):
言うことや考えがでたらめで,まったく根拠がないこと。
荒唐:よりどころがなく,とりとめのないこと。
無稽:考えに根拠がなく,でたらめであること。
「荒唐之言」と「無稽之言」が一緒になってできたことば。
『荘子(そうし)はこの説を学んで心から共鳴し,実情の伴わない広遠な説,判断できない広大な説,糸口が捕えられないことばを使ってこれを述べた。』莊子
『無稽の言(よりどころのない話には耳を傾けてはならない』書経
(新明解故事ことわざ辞典)
書経では商書にあった。商は殷の別名で周の前である。
荘子は戦国時代(紀元前369年 - 紀元前286年)
商(紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)との時間差は最小でも700年ある。
また書経は儒家の孔子の編纂とも言われており,荀子にも「無稽之言」が出てくる。
儒家と道家の莊子のコラボレーションとするのも出来すぎの感がある。
二つのものが合わさったのではなく,「もともと『荒唐無稽』があって,
意味が一人歩きして分かれて使われ,再度合わさった。」とも考えられる。
たとえば,
商が周の武王によって滅亡し,その子の成王のときに反乱を起こし鎮圧された国が唐である。
よって,「荒唐」は荒れた唐である。
また,「無稽」であるから名詞であろう。考えずであれば「不稽」がふさわしい。
稽には酒の器の意味もあるから,「無稽」は酒の器がない,ことである。
つまり,「荒唐無稽」は荒れた唐には酒の器もない,となる。
稽が祭礼に使われるよな酒器であれば,祭礼を行わない意味にもなる。
そのような国であるから周に滅ぼされるのも仕方ない,ということであろうか。
いかにも,周びいきで礼節を重んじる儒家の言である。
さて,予定は狂ったが成果は得られたようだ。
荒唐無稽が乱れた国家には礼節がないというのであればこれほどの当意即妙はない。
バカボンのパパであれば,こういうだろう。
「それでいいのだ。」
-------------------------------------------------------------------------------------
【以謬悠之說,荒唐之言,無端崖之辭,時恣縱而不儻,不以觭見之也。】莊子雜篇天下
【無稽之言,不見之行,不聞之謀,君子慎之。】荀子正名
今日は「呉越同舟」か「言語道断」あたりでまとめようと思っていたが,予定が狂った。
「満を持す」で変節を問うた手前,元に戻ったことを論評せねばならぬ。
これほど難しい論理はない。哲学の助けを借りても理解は無理だろう。
荒唐無稽(こうとうむけい):
言うことや考えがでたらめで,まったく根拠がないこと。
荒唐:よりどころがなく,とりとめのないこと。
無稽:考えに根拠がなく,でたらめであること。
「荒唐之言」と「無稽之言」が一緒になってできたことば。
『荘子(そうし)はこの説を学んで心から共鳴し,実情の伴わない広遠な説,判断できない広大な説,糸口が捕えられないことばを使ってこれを述べた。』莊子
『無稽の言(よりどころのない話には耳を傾けてはならない』書経
(新明解故事ことわざ辞典)
書経では商書にあった。商は殷の別名で周の前である。
荘子は戦国時代(紀元前369年 - 紀元前286年)
商(紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)との時間差は最小でも700年ある。
また書経は儒家の孔子の編纂とも言われており,荀子にも「無稽之言」が出てくる。
儒家と道家の莊子のコラボレーションとするのも出来すぎの感がある。
二つのものが合わさったのではなく,「もともと『荒唐無稽』があって,
意味が一人歩きして分かれて使われ,再度合わさった。」とも考えられる。
たとえば,
商が周の武王によって滅亡し,その子の成王のときに反乱を起こし鎮圧された国が唐である。
よって,「荒唐」は荒れた唐である。
また,「無稽」であるから名詞であろう。考えずであれば「不稽」がふさわしい。
稽には酒の器の意味もあるから,「無稽」は酒の器がない,ことである。
つまり,「荒唐無稽」は荒れた唐には酒の器もない,となる。
稽が祭礼に使われるよな酒器であれば,祭礼を行わない意味にもなる。
そのような国であるから周に滅ぼされるのも仕方ない,ということであろうか。
いかにも,周びいきで礼節を重んじる儒家の言である。
さて,予定は狂ったが成果は得られたようだ。
荒唐無稽が乱れた国家には礼節がないというのであればこれほどの当意即妙はない。
バカボンのパパであれば,こういうだろう。
「それでいいのだ。」
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【以謬悠之說,荒唐之言,無端崖之辭,時恣縱而不儻,不以觭見之也。】莊子雜篇天下
【無稽之言,不見之行,不聞之謀,君子慎之。】荀子正名
2009年02月08日
(ふ)舟に刻みて剣を求む
「彼のメルアドを大切にしまいすぎて見つからないだって?それじゃあ舟に刻みて剣を求むのと変わらないなあ」
「大事なことを書いておいたメモがどこかへ行ってしまった。
あるいは,書類が多すぎて必要なものが探しだせない。」
_____記憶と記録のバランスをとるのはなかなか難しい。
ところが記憶も記録もちゃんとしていても役に立たない場合がある。
それが「舟に刻みて剣を求む」の故事である。
舟に刻みて剣を求む(ふねにきざみてけんをもとむ):
世の中の移り変わりに気づかず,昔からの古いしきたりを固く守っている愚かさのたとえ。
『楚(そ)の国で川を渡っていた男が,剣を川の中に落としてしまった。
男はあわてて舟べりに小刀で印をつけ,「ここが剣の落ちたところだ」と言い,
舟が向こう岸に着いてからその印の下を探したが,見つからなかった。』呂氏春秋
(新明解故事ことわざ辞典)
古いしきたり云々ではなく,「記録本来の意味」と「対応の早さの重要性」を教えている。
対応が早ければ,記憶は不要になるし,不要な記録に悩まされることもない。
これが,記憶と記録のバランスをとる最善の方法である。
さて,政府与党の2005年08月26日マニフェスト「改革を止めるな」を読みかえしてみた。
ざっくりと言って,
国民の負担増と政官業の利権強化につながるものは実現され,
国民の福利厚生,不公平の是正に関わるものは先送りの感である。
高齢者医療制度,基礎年金国庫負担,社会保険庁解体,郵政民営化,特定財源の廃止,金融サービス立国,幼児教育無償化,教員免許更新制,私学助成,児童手当,拉致問題,防衛省設置,自衛隊法改正,ODA積極活用,基礎的財政収支の黒字化,地方分権,公務員改革...
マニフェストは政権公約のれっきとした記録であるが,
やるべきことには我田引水の優先順位があるらしい。
そして,先送りは「水の流れが激しくて」と責任転嫁して恥じないようだ。
「舟に刻みて剣を求む」がこれほど実感される記録はない。
国民の忘却を密かに待っているかのようである。
まず書くべきは,
進むべき方向,いつまでにやるかの期日,できなかった場合の責任の取り方である。
そして,受けるべきは国民の審判である。
「大事なことを書いておいたメモがどこかへ行ってしまった。
あるいは,書類が多すぎて必要なものが探しだせない。」
_____記憶と記録のバランスをとるのはなかなか難しい。
ところが記憶も記録もちゃんとしていても役に立たない場合がある。
それが「舟に刻みて剣を求む」の故事である。
舟に刻みて剣を求む(ふねにきざみてけんをもとむ):
世の中の移り変わりに気づかず,昔からの古いしきたりを固く守っている愚かさのたとえ。
『楚(そ)の国で川を渡っていた男が,剣を川の中に落としてしまった。
男はあわてて舟べりに小刀で印をつけ,「ここが剣の落ちたところだ」と言い,
舟が向こう岸に着いてからその印の下を探したが,見つからなかった。』呂氏春秋
(新明解故事ことわざ辞典)
古いしきたり云々ではなく,「記録本来の意味」と「対応の早さの重要性」を教えている。
対応が早ければ,記憶は不要になるし,不要な記録に悩まされることもない。
これが,記憶と記録のバランスをとる最善の方法である。
さて,政府与党の2005年08月26日マニフェスト「改革を止めるな」を読みかえしてみた。
ざっくりと言って,
国民の負担増と政官業の利権強化につながるものは実現され,
国民の福利厚生,不公平の是正に関わるものは先送りの感である。
高齢者医療制度,基礎年金国庫負担,社会保険庁解体,郵政民営化,特定財源の廃止,金融サービス立国,幼児教育無償化,教員免許更新制,私学助成,児童手当,拉致問題,防衛省設置,自衛隊法改正,ODA積極活用,基礎的財政収支の黒字化,地方分権,公務員改革...
マニフェストは政権公約のれっきとした記録であるが,
やるべきことには我田引水の優先順位があるらしい。
そして,先送りは「水の流れが激しくて」と責任転嫁して恥じないようだ。
「舟に刻みて剣を求む」がこれほど実感される記録はない。
国民の忘却を密かに待っているかのようである。
まず書くべきは,
進むべき方向,いつまでにやるかの期日,できなかった場合の責任の取り方である。
そして,受けるべきは国民の審判である。
2009年02月07日
(け)捲土重来,鶏鳴狗盗,乾坤一擲
「次の総選挙は,捲土重来を期す国民連合と鶏鳴狗盗の政官業連合の乾坤一擲の大勝負となりそうだ。」
捲土重来(けんどちょうらい):
一度負けた者が,態勢を立て直して再び猛烈に攻め寄せること。一度失敗した者が非常な意気込みでやり直すこと。
鶏鳴狗盗(けいめいくとう):
鶏の鳴き真似をして人をだましたり,犬のように人の物を盗んだりするような,ただ器用な才能の持ち主をいう。また,そのようなくだらない技能でも役に立つことがあるというたとえ。
乾坤一擲(けんこんいってき):
運を天にまかせ,のるかそるかの大勝負をすること。天下をかけて一回さいころを投げる意から。
(以上新明解故事ことわざ辞典)
国家の危機に乗じて,燎原の火の如く勢力を拡大する政官業の癒着の連環がある。
彼らは危機の扇動,我田引水,情報隠ぺいの才能に長け,連環に列なる者のみを守り,国民一般は蚊帳の外である。
「鶏鳴狗盗」とはまさに彼らのためにある言葉である。
金融,雇用,食糧..当ブログでもたびたび示しているのでことさら述べない。
乾坤一擲も,類を以て集まるの段で乾は天,坤は地とふれた。
サイコロの表と裏の意味になる。
政治を博打になぞらえる愚は国会漢字検定2日目でふれた。
今日は安らかな精神への回帰のため,捲土重来の詩を味わうことにする。
杜牧(とぼく)の「烏江亭(うこうてい)に題す」である。
「勝敗は兵家(へいか)も事(こと)期(き)せず,
羞(はじ)を包み恥(はじ)を忍ぶは是(こ)れ男児(だんじ)。
江東(こうとう)の子弟(してい)才俊(さいしゅん)多し,
捲土重來(けんどちょうらい)未(いま)だ知るべからず。」
泣かせる詩である。意味は,
「勝敗の行方は兵法家でも予測できない,
恥を耐え忍んでこそ男である。
江東の子弟には才俊が多い,
土をまきあげて再び来れば結果はどうなっていたかはわからない。」
(読下し,訳文参考は石川忠久「杜牧100選」NHK出版)
この詩を理解するには,予備知識も必要である。
漢(かん)の劉邦(りゅうほう)に敗れた楚(そ)の項羽(こうう)は,
烏江亭(うこうてい)という渡し場まで落ちのびてきた。
ここの亭長は,この川にはこの船一艘しかなく安全に渡れるから,と項羽に逃げることを勧めた。
しかし,項羽はそれを断って漢軍に突入し壮絶な最期をとげた。このくだりは辟易の段を参照。
ここまで書いて,妙な符合に気がついた。
今取り上げている場所は「烏江」である。
そのままの意味では「カラスの川」である。
先日,烏合の衆の段で,烏(カラス)は賢くて親孝行であり,愚者の集りでは意味が通じない。
だから,「烏合」とは「(項)羽合」の隠喩ではないかと書いた。
すると「烏江」も「羽江」の隠喩である可能性がある。
あるいは,項羽を貶めるために漢時代に改名されたのかもしれない。
詩を味わって,なんだか未知の世界に迷い込みそうな不思議な気分である。
-----------------------------------------------------------------------------------
題烏江亭
勝敗兵家事不期,包羞忍恥是男兒。
江東子弟多才俊,捲土重來未可知。
捲土重来(けんどちょうらい):
一度負けた者が,態勢を立て直して再び猛烈に攻め寄せること。一度失敗した者が非常な意気込みでやり直すこと。
鶏鳴狗盗(けいめいくとう):
鶏の鳴き真似をして人をだましたり,犬のように人の物を盗んだりするような,ただ器用な才能の持ち主をいう。また,そのようなくだらない技能でも役に立つことがあるというたとえ。
乾坤一擲(けんこんいってき):
運を天にまかせ,のるかそるかの大勝負をすること。天下をかけて一回さいころを投げる意から。
(以上新明解故事ことわざ辞典)
国家の危機に乗じて,燎原の火の如く勢力を拡大する政官業の癒着の連環がある。
彼らは危機の扇動,我田引水,情報隠ぺいの才能に長け,連環に列なる者のみを守り,国民一般は蚊帳の外である。
「鶏鳴狗盗」とはまさに彼らのためにある言葉である。
金融,雇用,食糧..当ブログでもたびたび示しているのでことさら述べない。
乾坤一擲も,類を以て集まるの段で乾は天,坤は地とふれた。
サイコロの表と裏の意味になる。
政治を博打になぞらえる愚は国会漢字検定2日目でふれた。
今日は安らかな精神への回帰のため,捲土重来の詩を味わうことにする。
杜牧(とぼく)の「烏江亭(うこうてい)に題す」である。
「勝敗は兵家(へいか)も事(こと)期(き)せず,
羞(はじ)を包み恥(はじ)を忍ぶは是(こ)れ男児(だんじ)。
江東(こうとう)の子弟(してい)才俊(さいしゅん)多し,
捲土重來(けんどちょうらい)未(いま)だ知るべからず。」
泣かせる詩である。意味は,
「勝敗の行方は兵法家でも予測できない,
恥を耐え忍んでこそ男である。
江東の子弟には才俊が多い,
土をまきあげて再び来れば結果はどうなっていたかはわからない。」
(読下し,訳文参考は石川忠久「杜牧100選」NHK出版)
この詩を理解するには,予備知識も必要である。
漢(かん)の劉邦(りゅうほう)に敗れた楚(そ)の項羽(こうう)は,
烏江亭(うこうてい)という渡し場まで落ちのびてきた。
ここの亭長は,この川にはこの船一艘しかなく安全に渡れるから,と項羽に逃げることを勧めた。
しかし,項羽はそれを断って漢軍に突入し壮絶な最期をとげた。このくだりは辟易の段を参照。
ここまで書いて,妙な符合に気がついた。
今取り上げている場所は「烏江」である。
そのままの意味では「カラスの川」である。
先日,烏合の衆の段で,烏(カラス)は賢くて親孝行であり,愚者の集りでは意味が通じない。
だから,「烏合」とは「(項)羽合」の隠喩ではないかと書いた。
すると「烏江」も「羽江」の隠喩である可能性がある。
あるいは,項羽を貶めるために漢時代に改名されたのかもしれない。
詩を味わって,なんだか未知の世界に迷い込みそうな不思議な気分である。
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題烏江亭
勝敗兵家事不期,包羞忍恥是男兒。
江東子弟多才俊,捲土重來未可知。
2009年02月06日
(ま)満を持す
「いまさら『俺は反対だった』なんて,民営化は満を持した政策転換じゃなかったのかい」
満を持す(まんをじす):
準備を十分に整えて,好機の到来を待つこと。弓を引きしぼったまま矢を放たず,発する機会を待つという意から。
『漢軍の矢はなくなりそうになった。李広(りこう)は兵士たちに,弓を十分に引きしぼったまま待機させた』史記
(新明解故事ことわざ辞典)
「満を持す(=持満)」が弓の形容に用いられる例は,史記,前漢記,漢書にたびたび見られる。しかし,それ以前の書物での「持満」は弓に使われることはなく,すべて機会を待つことの意味である。弓の形容は漢代以降の所産であろう。満月のように弓を引き絞ってという理解はいかにも創作的である。
漢以前の「持満」の例をひくと
史記楚世家では,楚(そ)の昭陽(しょうよう)が魏(ぎ)を攻めて勝利し,続いて斉をうかがったとき,斉の陳軫(ちんしん)は昭陽を「蛇足」の例を引いて説得する。「君はすでに戦功を立てた。いま斉を攻めて失敗すると,せっかくの功が無駄になり,罪にも問われる。ここは斉に恩を売り,兵を引くのが持満の術である。」
遡って管子には,「満を持すものは天とともにあり,危に安らぐものは人とともにある」と言っている。「じっと機を待つ者は天の助けを得て,危機にも動じない者は人の助けを得る」である。故事成語の資格十分な名言である。
さらに淮南子には,「殷を倒した周の武王は大規模な宮殿の造営を行おうとした。これに対して周公は,『いままで蓄積してきた徳を失い,乱暴な事をすれば天下に見捨てられる。』と諫めた。これが周が三十六世続くことのできた周公の持満である」としている。
このように「持満」は長い時間の概念であり,また「徳」や「天」などの人為を超えた関係性をもつ。
弓を引き絞って待つことには全く似つかわしくない。
さて,百年に一度の経済危機への対応は「満を持した図星」の政策でなければならないが,実情は「矢継ぎ早で,数打てば当たる」の様相である。矢には限りがあり,すでに尽きかけているのだが。
満を持す(まんをじす):
準備を十分に整えて,好機の到来を待つこと。弓を引きしぼったまま矢を放たず,発する機会を待つという意から。
『漢軍の矢はなくなりそうになった。李広(りこう)は兵士たちに,弓を十分に引きしぼったまま待機させた』史記
(新明解故事ことわざ辞典)
「満を持す(=持満)」が弓の形容に用いられる例は,史記,前漢記,漢書にたびたび見られる。しかし,それ以前の書物での「持満」は弓に使われることはなく,すべて機会を待つことの意味である。弓の形容は漢代以降の所産であろう。満月のように弓を引き絞ってという理解はいかにも創作的である。
漢以前の「持満」の例をひくと
史記楚世家では,楚(そ)の昭陽(しょうよう)が魏(ぎ)を攻めて勝利し,続いて斉をうかがったとき,斉の陳軫(ちんしん)は昭陽を「蛇足」の例を引いて説得する。「君はすでに戦功を立てた。いま斉を攻めて失敗すると,せっかくの功が無駄になり,罪にも問われる。ここは斉に恩を売り,兵を引くのが持満の術である。」
遡って管子には,「満を持すものは天とともにあり,危に安らぐものは人とともにある」と言っている。「じっと機を待つ者は天の助けを得て,危機にも動じない者は人の助けを得る」である。故事成語の資格十分な名言である。
さらに淮南子には,「殷を倒した周の武王は大規模な宮殿の造営を行おうとした。これに対して周公は,『いままで蓄積してきた徳を失い,乱暴な事をすれば天下に見捨てられる。』と諫めた。これが周が三十六世続くことのできた周公の持満である」としている。
このように「持満」は長い時間の概念であり,また「徳」や「天」などの人為を超えた関係性をもつ。
弓を引き絞って待つことには全く似つかわしくない。
さて,百年に一度の経済危機への対応は「満を持した図星」の政策でなければならないが,実情は「矢継ぎ早で,数打てば当たる」の様相である。矢には限りがあり,すでに尽きかけているのだが。