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Posted by 滋賀咲くブログ at

2009年02月09日

(こ)荒唐無稽

「担当であって担当でない賛成の反対なのだ,こりゃ荒唐無稽というよりバカボンのパパ以下だな」

今日は「呉越同舟」か「言語道断」あたりでまとめようと思っていたが,予定が狂った。
満を持す」で変節を問うた手前,元に戻ったことを論評せねばならぬ。
これほど難しい論理はない。哲学の助けを借りても理解は無理だろう。

荒唐無稽(こうとうむけい):
言うことや考えがでたらめで,まったく根拠がないこと。
荒唐:よりどころがなく,とりとめのないこと。
無稽:考えに根拠がなく,でたらめであること。
「荒唐之言」と「無稽之言」が一緒になってできたことば。
『荘子(そうし)はこの説を学んで心から共鳴し,実情の伴わない広遠な説,判断できない広大な説,糸口が捕えられないことばを使ってこれを述べた。』莊子
『無稽の言(よりどころのない話には耳を傾けてはならない』書経
(新明解故事ことわざ辞典)

書経では商書にあった。商は殷の別名で周の前である。
荘子は戦国時代(紀元前369年 - 紀元前286年)
商(紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)との時間差は最小でも700年ある。

また書経は儒家の孔子の編纂とも言われており,荀子にも「無稽之言」が出てくる。
儒家と道家の莊子のコラボレーションとするのも出来すぎの感がある。

二つのものが合わさったのではなく,「もともと『荒唐無稽』があって,
意味が一人歩きして分かれて使われ,再度合わさった。」とも考えられる。

たとえば,
商が周の武王によって滅亡し,その子の成王のときに反乱を起こし鎮圧された国が唐である。
よって,「荒唐」は荒れた唐である。
また,「無稽」であるから名詞であろう。考えずであれば「不稽」がふさわしい。
稽には酒の器の意味もあるから,「無稽」は酒の器がない,ことである。

つまり,「荒唐無稽」は荒れた唐には酒の器もない,となる。
稽が祭礼に使われるよな酒器であれば,祭礼を行わない意味にもなる。
そのような国であるから周に滅ぼされるのも仕方ない,ということであろうか。
いかにも,周びいきで礼節を重んじる儒家の言である。

さて,予定は狂ったが成果は得られたようだ。
荒唐無稽が乱れた国家には礼節がないというのであればこれほどの当意即妙はない。
バカボンのパパであれば,こういうだろう。
「それでいいのだ。」
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【以謬悠之說,荒唐之言,無端崖之辭,時恣縱而不儻,不以觭見之也。】莊子雜篇天下
無稽之言,不見之行,不聞之謀,君子慎之。】荀子正名

  


Posted by ゴンチ at 23:37Comments(0)故事成語

2009年02月08日

(ふ)舟に刻みて剣を求む

「彼のメルアドを大切にしまいすぎて見つからないだって?それじゃあ舟に刻みて剣を求むのと変わらないなあ」

「大事なことを書いておいたメモがどこかへ行ってしまった。
あるいは,書類が多すぎて必要なものが探しだせない。」
_____記憶と記録のバランスをとるのはなかなか難しい。
ところが記憶も記録もちゃんとしていても役に立たない場合がある。
それが「舟に刻みて剣を求む」の故事である。

舟に刻みて剣を求む(ふねにきざみてけんをもとむ):
世の中の移り変わりに気づかず,昔からの古いしきたりを固く守っている愚かさのたとえ。
『楚(そ)の国で川を渡っていた男が,剣を川の中に落としてしまった。
男はあわてて舟べりに小刀で印をつけ,「ここが剣の落ちたところだ」と言い,
舟が向こう岸に着いてからその印の下を探したが,見つからなかった。』呂氏春秋
(新明解故事ことわざ辞典)

古いしきたり云々ではなく,「記録本来の意味」と「対応の早さの重要性」を教えている。
対応が早ければ,記憶は不要になるし,不要な記録に悩まされることもない。
これが,記憶と記録のバランスをとる最善の方法である。

さて,政府与党の2005年08月26日マニフェスト「改革を止めるな」を読みかえしてみた。

ざっくりと言って,
国民の負担増と政官業の利権強化につながるものは実現され,
国民の福利厚生,不公平の是正に関わるものは先送りの感である。

高齢者医療制度,基礎年金国庫負担,社会保険庁解体,郵政民営化,特定財源の廃止,金融サービス立国,幼児教育無償化,教員免許更新制,私学助成,児童手当,拉致問題,防衛省設置,自衛隊法改正,ODA積極活用,基礎的財政収支の黒字化,地方分権,公務員改革...

マニフェストは政権公約のれっきとした記録であるが,
やるべきことには我田引水の優先順位があるらしい。
そして,先送りは「水の流れが激しくて」と責任転嫁して恥じないようだ。
「舟に刻みて剣を求む」がこれほど実感される記録はない。
国民の忘却を密かに待っているかのようである。
まず書くべきは,
進むべき方向,いつまでにやるかの期日,できなかった場合の責任の取り方である。
そして,受けるべきは国民の審判である。  


Posted by ゴンチ at 15:18Comments(2)故事成語

2009年02月07日

(け)捲土重来,鶏鳴狗盗,乾坤一擲

「次の総選挙は,捲土重来を期す国民連合と鶏鳴狗盗の政官業連合の乾坤一擲の大勝負となりそうだ。」

捲土重来(けんどちょうらい):
一度負けた者が,態勢を立て直して再び猛烈に攻め寄せること。一度失敗した者が非常な意気込みでやり直すこと。

鶏鳴狗盗(けいめいくとう):
鶏の鳴き真似をして人をだましたり,犬のように人の物を盗んだりするような,ただ器用な才能の持ち主をいう。また,そのようなくだらない技能でも役に立つことがあるというたとえ。

乾坤一擲(けんこんいってき):
運を天にまかせ,のるかそるかの大勝負をすること。天下をかけて一回さいころを投げる意から。

(以上新明解故事ことわざ辞典)

国家の危機に乗じて,燎原の火の如く勢力を拡大する政官業の癒着の連環がある。
彼らは危機の扇動,我田引水,情報隠ぺいの才能に長け,連環に列なる者のみを守り,国民一般は蚊帳の外である。
「鶏鳴狗盗」とはまさに彼らのためにある言葉である。
金融,雇用,食糧..当ブログでもたびたび示しているのでことさら述べない。

乾坤一擲も,類を以て集まるの段で乾は天,坤は地とふれた。
サイコロの表と裏の意味になる。
政治を博打になぞらえる愚は国会漢字検定2日目でふれた。

今日は安らかな精神への回帰のため,捲土重来の詩を味わうことにする。

杜牧(とぼく)の「烏江亭(うこうてい)に題す」である。

「勝敗は兵家(へいか)も事(こと)期(き)せず,
羞(はじ)を包み恥(はじ)を忍ぶは是(こ)れ男児(だんじ)。
江東(こうとう)の子弟(してい)才俊(さいしゅん)多し,
捲土重來(けんどちょうらい)未(いま)だ知るべからず。」

泣かせる詩である。意味は,
「勝敗の行方は兵法家でも予測できない,
恥を耐え忍んでこそ男である。
江東の子弟には才俊が多い,
土をまきあげて再び来れば結果はどうなっていたかはわからない。」
(読下し,訳文参考は石川忠久「杜牧100選」NHK出版)

この詩を理解するには,予備知識も必要である。

漢(かん)の劉邦(りゅうほう)に敗れた楚(そ)の項羽(こうう)は,
烏江亭(うこうてい)という渡し場まで落ちのびてきた。
ここの亭長は,この川にはこの船一艘しかなく安全に渡れるから,と項羽に逃げることを勧めた。
しかし,項羽はそれを断って漢軍に突入し壮絶な最期をとげた。このくだりは辟易の段を参照。

ここまで書いて,妙な符合に気がついた。
今取り上げている場所は「烏江」である。
そのままの意味では「カラスの川」である。
先日,烏合の衆の段で,烏(カラス)は賢くて親孝行であり,愚者の集りでは意味が通じない。
だから,「烏合」とは「(項)羽合」の隠喩ではないかと書いた。
すると「烏江」も「羽江」の隠喩である可能性がある。
あるいは,項羽を貶めるために漢時代に改名されたのかもしれない。

詩を味わって,なんだか未知の世界に迷い込みそうな不思議な気分である。

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題烏江亭
勝敗兵家事不期,包羞忍恥是男兒。
江東子弟多才俊,捲土重來未可知。   


Posted by ゴンチ at 19:00Comments(0)故事成語

2009年02月06日

(ま)満を持す

「いまさら『俺は反対だった』なんて,民営化は満を持した政策転換じゃなかったのかい」

満を持す(まんをじす):
準備を十分に整えて,好機の到来を待つこと。弓を引きしぼったまま矢を放たず,発する機会を待つという意から。
『漢軍の矢はなくなりそうになった。李広(りこう)は兵士たちに,弓を十分に引きしぼったまま待機させた』史記
(新明解故事ことわざ辞典)

「満を持す(=持満)」が弓の形容に用いられる例は,史記,前漢記,漢書にたびたび見られる。しかし,それ以前の書物での「持満」は弓に使われることはなく,すべて機会を待つことの意味である。弓の形容は漢代以降の所産であろう。満月のように弓を引き絞ってという理解はいかにも創作的である。

漢以前の「持満」の例をひくと

史記楚世家では,楚(そ)の昭陽(しょうよう)が魏(ぎ)を攻めて勝利し,続いて斉をうかがったとき,斉の陳軫(ちんしん)は昭陽を「蛇足」の例を引いて説得する。「君はすでに戦功を立てた。いま斉を攻めて失敗すると,せっかくの功が無駄になり,罪にも問われる。ここは斉に恩を売り,兵を引くのが持満の術である。」

遡って管子には,「満を持すものは天とともにあり,危に安らぐものは人とともにある」と言っている。「じっと機を待つ者は天の助けを得て,危機にも動じない者は人の助けを得る」である。故事成語の資格十分な名言である。

さらに淮南子には,「殷を倒した周の武王は大規模な宮殿の造営を行おうとした。これに対して周公は,『いままで蓄積してきた徳を失い,乱暴な事をすれば天下に見捨てられる。』と諫めた。これが周が三十六世続くことのできた周公の持満である」としている。

このように「持満」は長い時間の概念であり,また「徳」や「天」などの人為を超えた関係性をもつ。
弓を引き絞って待つことには全く似つかわしくない。

さて,百年に一度の経済危機への対応は「満を持した図星」の政策でなければならないが,実情は「矢継ぎ早で,数打てば当たる」の様相である。矢には限りがあり,すでに尽きかけているのだが。  


Posted by ゴンチ at 22:32Comments(0)故事成語

2009年02月05日

(や)野心

「王国の建設に野心まんまんの指導者は,『民の望みはなんでも叶えよう』と吹聴している。」

野心(やしん):
①あばれっぽくて手なずけがたい心。おおかみの子は,その心は常に山野にあって,あくまで飼い主に反抗するのでいう。【狼子野心】左伝宣四
②身分不相応な望み。むほん心。
③静かな田園生活を楽しむ心。【闇性寡任,野心素積】宋・王僧達伝
(新字源)

②と③は人の心,①は狼の心についてである。
狼に心はあるのだろうか。原文で調べてみた。

左伝では,【諺曰,狼子野心】(諺(ことわざ)に「狼子野心」と言うように)となっていて,
この時点ですでにことわざになっていると書かれている。
魯宣公四年は紀元前605年であるのでそれ以前からあった言葉であろう。

黄帝(紀元前2510年~紀元前2448年)の時代には
『翼をつけ,角を戴き,牙が分かれ..飛んだり,走るものを禽獸と言う。禽獸には人心が無いとは言えないが,人心があったとしても,体形は違うので親しまない。』(列子黃帝)とある。
この時点で,禽獣にもこころがあり,「人心」に似た「獸心」というものを持っているとされている。
これが文献で示された最古の定義であろう。

現代の「野心」は『あばれっぽくて手なずけがたい,身分不相応な望み』での使われ方がほとんどである。
「野次」,「野合」,「野人」はすべて「野心」と同時代に起源をもつ。
政治の混迷に似つかわしい言葉ばかりである。

ところで,馬鹿野郎というときの
「馬鹿」は故事成語であるが,「野郎」は「夜郎」が正しい。
(「野郎」は日本製である。)
「馬と鹿の違いも分からないのに,威張って思いあがる」輩のことである。

夜郎自大(やろうじだい):自分の力量をわきまえずに,威張るもののこと。思い上がりのはげしいことのたとえ。夜郎=今の貴州省の西境にいた部族の名。自大=威張って尊大な態度をとること。
『昔,中国の夜郎という部族が,地方の部族の中で最強であったため,漢(かん)の強大なことを知らないで,その使者に向かって自国と漢の大小を問うた』
(新明解故事ことわざ辞典)

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【初,楚司馬子良,生子越椒,子文曰,必殺之,是子也,熊虎之狀,而豺狼之聲,弗殺,必滅若敖氏矣,諺曰,狼子野心,是乃狼也,其可畜乎,子良不可,子文以為大慼,及將死,聚其族曰,椒也知政,乃速行矣,無及於難,且泣曰,鬼猶求食。】春秋左傳宣公四年

【有七尺之骸,手足之異,戴發含齒,倚而趣者,謂之人。而人未必無獸心;雖有獸心,以狀而見親矣。傅翼戴角,分牙布爪,仰飛伏走,謂之禽獸。而禽獸未必無人心;雖有人心,以狀而見疏矣。】列子黃帝  


Posted by ゴンチ at 22:50Comments(0)故事成語