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Posted by 滋賀咲くブログ at

2009年02月05日

(や)野心

「王国の建設に野心まんまんの指導者は,『民の望みはなんでも叶えよう』と吹聴している。」

野心(やしん):
①あばれっぽくて手なずけがたい心。おおかみの子は,その心は常に山野にあって,あくまで飼い主に反抗するのでいう。【狼子野心】左伝宣四
②身分不相応な望み。むほん心。
③静かな田園生活を楽しむ心。【闇性寡任,野心素積】宋・王僧達伝
(新字源)

②と③は人の心,①は狼の心についてである。
狼に心はあるのだろうか。原文で調べてみた。

左伝では,【諺曰,狼子野心】(諺(ことわざ)に「狼子野心」と言うように)となっていて,
この時点ですでにことわざになっていると書かれている。
魯宣公四年は紀元前605年であるのでそれ以前からあった言葉であろう。

黄帝(紀元前2510年~紀元前2448年)の時代には
『翼をつけ,角を戴き,牙が分かれ..飛んだり,走るものを禽獸と言う。禽獸には人心が無いとは言えないが,人心があったとしても,体形は違うので親しまない。』(列子黃帝)とある。
この時点で,禽獣にもこころがあり,「人心」に似た「獸心」というものを持っているとされている。
これが文献で示された最古の定義であろう。

現代の「野心」は『あばれっぽくて手なずけがたい,身分不相応な望み』での使われ方がほとんどである。
「野次」,「野合」,「野人」はすべて「野心」と同時代に起源をもつ。
政治の混迷に似つかわしい言葉ばかりである。

ところで,馬鹿野郎というときの
「馬鹿」は故事成語であるが,「野郎」は「夜郎」が正しい。
(「野郎」は日本製である。)
「馬と鹿の違いも分からないのに,威張って思いあがる」輩のことである。

夜郎自大(やろうじだい):自分の力量をわきまえずに,威張るもののこと。思い上がりのはげしいことのたとえ。夜郎=今の貴州省の西境にいた部族の名。自大=威張って尊大な態度をとること。
『昔,中国の夜郎という部族が,地方の部族の中で最強であったため,漢(かん)の強大なことを知らないで,その使者に向かって自国と漢の大小を問うた』
(新明解故事ことわざ辞典)

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【初,楚司馬子良,生子越椒,子文曰,必殺之,是子也,熊虎之狀,而豺狼之聲,弗殺,必滅若敖氏矣,諺曰,狼子野心,是乃狼也,其可畜乎,子良不可,子文以為大慼,及將死,聚其族曰,椒也知政,乃速行矣,無及於難,且泣曰,鬼猶求食。】春秋左傳宣公四年

【有七尺之骸,手足之異,戴發含齒,倚而趣者,謂之人。而人未必無獸心;雖有獸心,以狀而見親矣。傅翼戴角,分牙布爪,仰飛伏走,謂之禽獸。而禽獸未必無人心;雖有人心,以狀而見疏矣。】列子黃帝  


Posted by ゴンチ at 22:50Comments(0)故事成語