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Posted by 滋賀咲くブログ at

2009年02月23日

(す)隋珠和璧(ずいしゅかへき)

隋珠和璧:
この世の最高の宝。最も価値のあるもののたとえ。
隋珠=春秋時代,隋侯(ずいこう)が命を助けた礼として大蛇から贈られたとする天下の名玉。
和璧=楚(そ)の卞和(べんか)が山中で見つけた,宝玉の原石(和氏(かし)の璧(たま))
出典:淮南子

魏(ぎ)文帝(ぶんてい)が「価値は万金を越え,貴重さは都城ほどある。」と憧れた宝玉は4つあったことを双璧で述べた。晉の垂棘,魯の璵璠,宋の結綠,楚の和璞(和氏の璧)である。さらにこの隋珠も和氏の璧に並ぶ宝玉のようである。

墨子(紀元前450年~390年頃)も「和氏之璧,隋侯之珠,三棘六異が諸侯にとっての最高の宝である。」( 墨子耕柱)と言っている。
三棘六異は九鼎 (きゅうてい)のことである。九鼎は夏(か)王禹(う)が九州(中国全土)から集めさせた青銅で鋳造した祭器である。王権の象徴として殷(いん)・周(しゅう)に引き継がれ,楚(そ)の荘王が「鼎(かなえ)の軽重(けいちょう)」を問い,秦(しん)統一の動乱で泗水に沈んだと言われている。これも相当な代物である。

さて,故事成語いろは集も京を残すのみとなった。
2000年以上も前の警句が現代に十分響くことに驚いている。
ただ,無制限に諸子百家の思想を混在させたことで焦点があいまいになった。
道・徳・仁・義・礼など語句の一人歩き,前置きのない乱用も多かった。
それを整理する意味も込めて,隋珠和璧に関係した記述を引く。
法家の韓非子が道家の老子の思想にふれた文である。韓非子解老

『人が道(どう:自然の摂理)を学んで,蓄積された知恵が徳(とく)である。
徳が充実すると外に対して光を放つようになる,この光が仁(じん)である。
仁が当たったものは反射をする,この反射した光が義(ぎ)である。
反射の仕方はものによって異なり,反射の仕方が礼(れい)である。
礼によってそのものの形や色がわかり,それを飾る言葉が文(ぶん)である。
だから,徳がないと仁が発揮できず,仁が発揮されないと義が起こらず,
義が起こらなければ礼は意味をなさず,礼に意味がなければ文は嘘になる。
..形を頼んで真情を褒めるなら実はその真情が醜いからであり,
文飾を抜きにして実質を話せないならその実質が貧弱なのである。
和氏の璧は五色の絹で飾る必要がなく,隋侯の珠は金銀で装う必要がない。
実質が美しくて,何物を以てしてもその装飾とするに足りないからである。』
(参考:明治書院新釈漢文大系韓非子上)

さらに混乱は増したかも知れない。
ただ,道・徳・仁・義・礼の論理はこの説明がもっともすっきりしている。
同義反復に陥ることがなく,なにより物理的である。  


Posted by ゴンチ at 23:29Comments(0)故事成語