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Posted by 滋賀咲くブログ at

2009年02月15日

(ゆ)優孟(ゆうもう)の衣冠

「官僚の書いたシナリオを演じる俳優気取りなのだが,セリフが覚えられないんじゃとんだ大根役者だ。」

今日は俳優の語源である。

優孟の衣冠(ゆうもうのいかん):
外形をまねること。見た目はそっくりでも,実体は異なっていること。
優孟=春秋時代の楚(そ)の芸人
『楚の宰相(さいしょう)孫叔敖(そんしゅくごう)の死後,その子孫は貧困に苦しんでいた。そこでかつて孫叔敖に世話になっていた優孟が孫叔敖になりすまして王に会い,孫叔敖の業績と子孫の不遇を訴えた。王は,子孫に領地を与えたという。』史記
(新明解故事ことわざ辞典)

楚の王は荘王(紀元前614年 - 紀元前591年)で,鳴かず飛ばずの段で登場した春秋の覇者である。
優孟の迫真の演技を見てみよう。史記滑稽列傳からである。

『孫叔敖に変装した優孟が現れたときは,荘王もお付きの者も別人だとは思わなかった。
荘王は驚いて,優孟の前に祝いの酒を置き,
「生き返ったのであればまた宰相として仕えてほしい。」
と言った。
「妻と相談したいので三日だけお待ちいただきたい。」
と優孟が言い,荘王はそれを許した。三日後に結果を問われた優孟は,
「楚の宰相では足らないのですと,妻が慎みもなく言っておりますには,
孫叔敖は,楚の宰相として忠節を尽くし倹約を重ねて楚の国を治めました。
それで楚の王は覇者となられました。
孫叔敖が死んでその子らには立錐の地もなく(立身出世の道がなく),
自ら薪を背負い飲食にも事欠く貧しさです。

歌にもあるように,
「一所懸命に耕作しても,自分の口には入らない。
貪鄙(たんぴ)なお役人様がかすめとる。
本当に恥知らず。
家にはお宝いっぱいで,死んでも子らはお金持ち。
罪を犯したら,身は死んで家も滅ぶもの。
それでもまいない受けるのか。
貪(むさぼ)るお役人様は威張ってる。
廉(つつまし)いお役人様のために歌いましょう。
法をまもって職をまもって,死んでも悪いことはしなかった。
孫叔敖は何も残さず死んだ,だから妻子は食うにも困る。」
このように,楚の宰相では足らないのです。...』

(貪鄙:欲張りで心がいやしい,現代の言葉で言うとさもしいである)

優孟の命がけの交渉で,孫叔敖の子供たちには封戸が与えられ,孫叔敖を祀ることができるようになった。
この交渉の優れたところは,
残された妻子の困窮は,孫叔敖が清廉潔白な政治家であったために起こっていること。
そして,その政治家の手腕によって交渉相手(荘王)が覇者となれたこと。
(さらに,家が貧しいために死んだ自分を祀ることができず,成仏できずに幽霊として戻ってきたこと。)
の論理に一貫性があることである。

優孟にとっては,官僚の天下りや渡りも貪りのひとつだろう。
国民の税金を特定の業者に分配し,その見返りとして私腹を肥やすからだ。

さて,冒頭の文にもどろう。
大根役者はとうとう劇場のオーナーに怒られた,というより嗤(わら)われたが,
叱咤激励の声援と受け止めているようだ。
シニカルな政治劇がコミカルになってしまった。
優孟であればどうクライマックスにつなげるのだろうか。

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【楚相孫叔敖知其賢人也,善待之。病且死,屬其子曰:“我死,汝必貧困。若往見優孟,言我孫叔敖之子也。”居數年,其子窮困負薪,逢優孟,與言曰:“我,孫叔敖子也。父且死時,屬我貧困往見優孟。”優孟曰:“若無遠有所之。”即為孫叔敖衣冠,抵掌談語。歲餘,像孫叔敖,楚王及左右不能別也。莊王置酒,優孟前為壽。莊王大驚,以為孫叔敖復生也,欲以為相。優孟曰:“請歸與婦計之,三日而為相。”莊王許之。三日后,優孟復來。王曰:“婦言謂何?”孟曰:“婦言慎無為,楚相不足為也。如孫叔敖之為楚相,盡忠為廉以治楚,楚王得以霸。今死,其子無立錐之地,貧困負薪以自飲食。必如孫叔敖,不如自殺。”因歌曰:“山居耕田苦,難以得食。起而為吏,身貪鄙者餘財,不顧恥辱。身死家室富,又恐受賕枉法,為姦觸大罪,身死而家滅。貪吏安可為也!念為廉吏,奉法守職,竟死不敢為非。廉吏安可為也!楚相孫叔敖持廉至死,方今妻子窮困負薪而食,不足為也!”於是莊王謝優孟,乃召孫叔敖子,封之寢丘四百戶,以奉其祀。后十世不絕。此知可以言時矣。】史記滑稽列傳  


Posted by ゴンチ at 23:40Comments(0)故事成語

2009年02月14日

(き)杞憂(きゆう),牛耳(ぎゅうじ)る,疑心暗鬼を生ず

「杞憂かも知れないが,官僚に牛耳られている組織を本当に改革できるのか,疑心暗鬼になっているんだ。」

杞憂(きゆう):
無用の心配をすること。取り越し苦労。杞=現在の江南省にあった小国の名。
『周(しゅう)の時代,杞の国に,天が落ち地が崩れて身の置き場がなくなるのではないかと心配し,夜も寝られず,食事もろくに食べられない者がいた』列子

牛耳を執る(ぎゅうじをとる):
団体や党派などの中心人物となって,思うままに支配することのたとえ。
『春秋戦国時代に諸侯が集まって同盟を結ぶ儀式を行う際,中心的人物の盟主がいけにえとした牛の耳を裂き,皆が順番にその血をすすり合って結束を誓い合ったという故事による。「牛耳る」ということばも,ここから出た』春秋左氏伝

疑心暗鬼を生ず(ぎしんあんきをしょうず):
心に疑いがあると,何でもないことまで恐ろしく思えたり,疑わしく思えたりすること。疑いの心があると,暗闇の中にいるはずもない鬼の姿が見えたりするという意から。出典列子
(3語とも新明解故事ことわざ辞典)

牛耳と疑心暗鬼は実感として理解できたが,杞憂は釈然としないので話の続きを調べてみた。出典は列子天瑞である。

天地の崩落を心配した人とある物知りの人の会話である。
『「天は気(空気や水蒸気)がずっと積み上がったもので,気が無い処は無い(充満している)から落ちることはない。」
「じゃあなぜ,太陽や月や星は落ちてこないんだい?」
「太陽や月や星は気が光っているだけだから,もし落ちてきても怪我することはない。」
「じゃあ,なぜ地は崩れないんだい?」
「地は土くれがずっと詰まっていて,隅々まで土くれの無い処が無いから,崩れる心配はない。」
それを聞いて心配性の人は大笑いし,物知りの人も大笑いした。』

「限りなく充満している」ことは心配性の人にとっては十分安心できることだったらしい。
列子はさらに続ける。

『天地が壊れるという者も壊れないという者も誤っている。
私には壊れるか壊れないかはわからない。
けれども,どちらにも理はある。
生きているうちは死ねことを知らないし,死んでしまえば生きているものを知らない。
未来は過去を知らないし,過去は未来を知らない。
だから,壊れるとか壊れないとかまじめに考えることはできない。』

列子は,知ること,考えることの限界を言っている。
また,時間的な制約の中で結論を得ることの難しさを指摘している。

現代では大気圏の大きさも,地球の大きさもすでにわかっている。
そして,地球規模の崩壊は現実のものになり,杞憂は杞憂でなくなっている。

さて,冒頭の文にもどろう。

国民の代表である国会が公務員の人事を掌握することについて,官僚の抵抗が大きい。
公務員は労働三権(団結権,団体交渉権,争議権)が制限されていることを理由に挙げている。
渡りなれた官僚らしい,理路整然とした法に基づく問題提起である。
しかし,そもそも倒産の心配のない人間に労働三権が要るのか?という問題意識はないらしい。

内閣府の資料(2008年1月28日)によれば,
国家公務員の人数は33万人,人件費は5.4兆円だそうである。
郵政民営化等によって人員はピーク時の38%に減少したが,費用は53%である。
安月給で頑張っている人が減ったのだ。
依然として,人間は国の隅々まで詰まっているようであるが,そのうち公僕はどれほどいるのだろうか。
人事の手始めは個人の目標設定と達成度による考課から始めてもらいたい。
そして,その達成率を国民に示してもらいたい。

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『杞國有人,憂天地崩墜,身亡所寄,廢寢食者。又有憂彼之所憂者,因往曉之,曰:“天,積氣耳,亡處亡氣。若屈伸呼吸,終日在天中行止,奈何憂崩墜乎?”其人曰:“天果積氣,日月星宿不當墜邪?”曉之者曰:“日月星宿,亦積氣中之有光耀者,只使墜,亦不能有所中傷。”其人曰:“奈地壞何?”曉者曰:“地積塊耳,充塞四虛,亡處亡塊。若躇步跐蹈,終日在地上行止,奈何憂其壞?”其人舍然大喜,曉之者亦舍然大喜。長廬子聞而笑曰:“虹蜺也,云霧也,風雨也,四時也,此積氣之成乎天者也。山岳也,河海也;金石也,火木也,此積形之成乎地者也。知積氣也,知積塊也,奚謂不壞?夫天地,空中之一細物,有中之最巨者。難終難窮,此固然矣;難測難識,此固然矣。憂其壞者,誠為大遠;言其不壞者,亦為未是。天地不得不壞,則會歸于壞。遇其壞時,奚為不憂哉?”子列子聞而笑曰:“言天地壞者亦謬,言天地不壞者亦謬。壞與不壞,吾所不能知也。雖然,彼一也,此一也。故生不知死,死不知生;來不知去,去不知來。壞與不壞,吾何容心哉?” 』列子天瑞  


Posted by ゴンチ at 23:51Comments(0)故事成語

2009年02月13日

(さ)塞翁が馬(さいおうがうま)

「失業のおかげで人情のありがたみがよくわかるようになった。友人もたくさんできて人間万事塞翁が馬である。」

塞翁が馬(さいおうがうま):
人生,幸せがいつ不幸の原因になるか分からないし,わざわいがいつ幸せの原因になるかわからない。
わざわいも悲しむに及ばず,幸せも喜ぶにはあたらないということ。
「人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)」ともいう。
『昔,中国北方の塞(とりで)の近くに住む老人の馬が胡(こ)の地方に逃げた。
人びとがなぐさめると,老人は「そのうちに福がくる」と答えた。
やがて,逃げた馬は胡のすばらしい馬を連れて帰ってきた。
人々が祝うと,今度は「これはわざわいのもとになる」と言った。
老人の息子が胡の馬に乗ったところ,落馬して足を折ってしまった。
人々が見舞うと,老人は「これが幸いのもとになるだろう」と答えた。
1年後に胡の軍隊が攻め込んで来て戦争となり,若者たちはほとんど戦死したが,
老人の子だけは足が不自由だったために兵役をまぬがれ,死なずにすんだという。』淮南子
(新明解故事ことわざ辞典)

考え方次第で幸せにも不幸にもなれるということである。

今日は「かんでんふれあいコンサート」ですばらしい演奏を聴かせていただいた。
バレンタインイブらしく愛のロマンス,太陽と愛,愛の賛歌..愛づくしであった。
仕事に追われコンサートなど縁遠かったが失業のおかげで幸せな気分になった。
まさに人間万事塞翁が馬である。
政治の矛盾をイジって暗澹(あんたん)な気分に逆戻りすることは今日は止めることにする。  


Posted by ゴンチ at 23:47Comments(0)故事成語

2009年02月12日

(あ)安(あん)に居て危(き)を思う

「安に居て危を思う国民の貯えのおかげで,この危機をしのいでるんだ。政治の手柄でも何でもない」

「日本は1999年に7兆円余の金融機関支援を行っていたから,今回の金融危機の被害を最小限に食い止めることができた。」などと詭弁を弄する者たちがいる。彼らが2009年度の緊急経済対策ではさらに62兆円を金融機関支援に使おうとしている矛盾はすでに示した。

危機をしのいでいる本当の力は,『敗戦の何もない状態から一念発起し,不屈の意志で復興をとげた先人たちの努力の結果,すなわち家計の金融資産』の力なのである。

安に居て危を思う(あんにいてきをおもう):
平和なときにも,危機に対する備えを忘れないようにすること。
安=平和。平安。危=危険。危難。
『安に居て危を思い,思えば則(すなわ)ち備えあり,備えあれば患(うれ)いなし。』春秋左氏伝
(新明解故事ことわざ辞典)

日本銀行調査統計局の資金循環表(2008年12月16日)によれば,2008年9月の家計の金融資産は1,467兆円である。
内訳は預金736兆円,証券220兆円,保険・年金準備金402兆円他である。

このところ「国の借金は846兆円に増えて国民一人当たり663万円になった」というニュースが新聞をにぎわせているが,全くの見当違いである。
証券分の220兆円が紙くずになるだけで,国の借金の肩代わりも倒産した株式会社の清算も済んでしまう,筈である。
(証券はリスクの有限責任であるのだから)

問題は預金や保険・年金で集めた金を銀行などの金融機関が,国を含めてどこへどれだけ貸しているかである。
銀行がつぶれたらペイオフ分しか戻ってこないので,お金持ちには頭の痛い問題であるが,幸い庶民には縁のない話である。
だが,税金が真っ先に金融機関の救済に使われる現在の経済政策は,大変不愉快である。

さて,「景気は気のもので,貯蓄を消費や投資にまわせば景気は回復する」とのたまう政治家や経済評論家が後を絶たない。
内閣府の国民経済計算(2008年12月25日)によれば,2006年度と2007年度の比較では,国民所得は0.3%の微増であるが,貯蓄率は4.0%から2.2%へ大幅に下降している。
2008年はさらに悪化していると思われる。
『貯金を取り崩して生活している』というのが現実なのである。

いったい,貯蓄はいくらあれば安心できるのだろうか。
先人の知恵を借りることにする。

『(飢饉や戦争に備えて)国家に9年分の備蓄が無い場合は「不足状態」である。6年分なければ「緊急事態」である。3年分なければ「国家とは言えない」...』

2007年度の数字で検証してみよう。
貯蓄:家計金融資産1,467兆円から負債384兆円を引いて1083兆円
支出:家計最終消費支出285兆円
1083÷285=3.8年分
ぎりぎり国家の体を保っているようである。

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【國無九年之蓄曰不足,無六年之蓄曰急,無三年之蓄曰國非其國也。】禮記王制
  


Posted by ゴンチ at 23:43Comments(2)故事成語

2009年02月11日

(て)轍鮒(てっぷ)の急

「猫が金魚鉢をひっくり返しただって?で猫を叱って,割れたガラスを集めて,水を拭き取ってる?おいおい金魚が先だろう,バケツに水を入れて持ってこい,それが轍鮒(てっぷ)の急というものだ。」

重要で緊急なことの優先順位について説いている。

轍鮒の急(てっぷのきゅう):
危機が目の前に迫っているたとえ。車の轍(わだち)にできた水たまりにいる鮒(ふな)が,今にも水がなくなって死にそうなことから。
『貧しかった荘子(そうし)が,役人の友人に穀物を借りに行ったら,「近く年貢を取り立てるからその中から貸そう」と言われた。
荘子は
「来る途中,車の轍の水たまりにいる鮒から助けを求められたので,近いうちに旅行して西江の水をたくさん持ってきてやると言ったら,鮒が怒って,自分は今わずかの水があれば助かるのだ。そんなのんきなことでは,私はひものになってしまうと言った」..』荘子(そうじ)
(新明解故事ことわざ辞典)

荘子(紀元前369年 - 紀元前286)は,自分を鮒に喩えて窮状を訴えている。
胡蝶の夢,無用の用,衛生,包丁など絵画のような表現が得意にしてはやや実録的である。

車の轍は,経済の発達や戦争による政治の負の遺産であろう。
雨がふって水がたまり,そこを疾走する荷車から鮒が転げ落ちた。
あるいは洪水で川が氾濫して,鮒が取り残された。
そして息も絶え絶えに訴えている。

荘子も切羽詰まっていたのだ。
緊急性と重要性を混同している為政者には轍鮒の急で訴えるしかないのである。

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【昔者莊周夢為胡蝶,栩栩然胡蝶也,自喻適志與!不知周也。俄然覺,則蘧蘧然周也。不知周之夢為胡蝶與,胡蝶之夢為周與?周與胡蝶,則必有分矣。此之謂物化。】荘子齊物論
【南榮趎曰:“里人有病,里人問之,病者能言其病,然其病病者猶未病也。若趎之聞大道,譬猶飲藥以加病也,趎願聞衛生之經而已矣。”老子曰:“衛生之經,能抱一乎?能勿失乎?能無卜筮而知吉凶乎?能止乎?能已乎?】荘子庚桑楚
庖丁為文惠君解牛,手之所觸,肩之所倚,足之所履,膝之所踦,砉然嚮然,奏刀騞然,莫不中音。】荘子養生主
【山木自寇也,膏火自煎也。桂可食,故伐之;漆可用,故割之。人皆知有用之用,而莫知無用之用也。】荘子人間世   


Posted by ゴンチ at 16:29Comments(0)故事成語